
私のご先祖様は石川県で生きてきた。
なんでひい爺さんは北海道に来たんだろう?
おはようございます!
明治時代のはじまり。
激しい時代の変化のなかで、
石川県の武士たちは困難な
現実と向き合っていました。
かつて「加賀百万石」と呼ばれた
豊かな土地で暮らしていた彼らも、
廃藩置県(1871年)により、
武士としての仕事を失い、
生活に困る日々が続いていたのです。
そんな中、
政府が打ち出したのが
「屯田兵制度」でした。
前回も書きましたが、
北海道の開拓と防衛を
同時に進めるための制度であり、
職を失った武士たちにとっては、
新たな人生のチャンスでもありました。
「剣を捨て、鍬を持つ」
この言葉を胸に、
石川県出身の士族たちは
家族とともに北の大地へ向かいました。
彼らが目指したのは、
まだ何もない広大な原野、
寒さも厳しく、
慣れない農作業と病気、
そして孤独との闘いが待っていました。
札幌の琴似、月寒、豊平、
旭川の永山、滝川、中富良野、
石川県からの屯田兵たちは、
こうした土地に入植し、
村を切り拓いていきました。
ときに
「加賀組」「能登組」などと呼ばれ、
互いに助け合いながら、
学校や道路、神社をつくり、
今の北海道の町の礎を築いたのです。
生活は決して楽ではありませんでしたが、
彼らには「未来をつくる」という誇りがありました。
戦いではなく、
土地を耕し、
家族と共に生きること。
かつて刀を握っていた手で、
大地に種をまき、
町を育てた彼らの姿は、
まさに「生きる武士」の
姿だったと言えるでしょう。
今も札幌や旭川の町の片隅には、
石川県出身の屯田兵の名前が
刻まれた石碑や墓標が残っています。
それは、北の地で懸命に
生きた人々の記憶であり、
私たちに
「開拓とは、希望と覚悟の選択だった」
ということを教えてくれます。
石川県と北海道、
この二つの土地を結んだのは、
たんなる国の政策ではなく、
一人ひとりの想いと決意が
繋げたのかもしれません。
私のひい爺さんも、強い志しで
石川県から北海道は、
未来に命を繋いでくれたんだろう。
今日も楽しい一日を。
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執筆者プロフィール
田中 誠大
「セイジツに大儲け」強い小規模経営「40からの勝ち方」
株式会社セイダイ 代表取締役
「足腰の強い経営」を創るお手伝いを「使命」としています。
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