957、川のほとりの町、豊平区のあゆみ

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私は豊平区で生まれ豊平区で育ちました。
父さんも爺さんも私も、豊平小学校です。

おはようございます!

むかし、まだ札幌という町の形もなかったころ。
そこには、大きな川と小さな川がゆったりと流れる、
緑ゆたかな土地が広がっていました。

人々はその川の近くに住み、
「トイ・ピラ(土の崖)」と呼びました。

これが、豊平(とよひら)という名前のはじまりでした。

この土地には、アイヌの人たちが暮らし、
魚をとり、木の実を拾い、
自然とともに生きていました。

時は明治。
日本が「北海道を開拓せよ!」
という大きな目標をかかげたころ。

国の人たちは、
まだ手つかずの
豊平の地に目をつけました。

1870年代、この川のほとりにやってきたのは、
最近よく出てくる屯田兵の人たち。

彼らは、
畑を作る農民であり、
いざという時は国を守る
兵士でもある特別な人々。

彼らが作った村には、
まっすぐな道、
似たような家、
みんなで助け合う暮らしが
広がっていきました。

月寒(つきさむ)や豊平、
福住(ふくずみ)といった場所は、
こうして生まれたました。

時がたち、
札幌の町がにぎやかになると、
豊平もどんどん変わっていきます。

大正時代には、
鉄道や市電がやってきて、
札幌の中心と豊平が近くなりました。

「学びのまち」としての顔も現れ、
学校や研究施設が増えていきました。
私の通っていた豊平小学校は明治14年開校
私を含め、私の父も、祖父も通っていた
歴史のある古い小学校です。

昭和に入ると、
豊平区はますますにぎやかに。

戦後には人がどっと増え、
畑や森だった場所が
住宅街や商店街に
変わっていきました。

平成になると、
さらに大きな変化がやってきました。

地下鉄東豊線の開通、
札幌ドーム(2001年)の完成、
大学や高校など、学びの施設の集中、

川沿いに広がる緑道や公園も、
地元の人たちの憩いの場に、
豊平川ではジョギングや花火大会、
近くの公園では親子が遊ぶ姿が見られます。

今では「住みやすくて便利なまち」
として、多くの人が暮らしています。

私の生まれた豊平区は、
ただの「街の一部」ではなく、

川とともに生まれ、
人とともに育ち、
歴史とともに
歩んできた場所です。

昔の人が汗を流して開拓した大地、
町の発展を願った先人たちの想い、
そして、今ここに暮らす人たちの笑顔が
すべて重なって、今の「豊平」として
変化をしていっている。

このまちは、
今日も静かに流れる豊平川のように、
未来へとつながっているのですね。

今日も楽しい一日を。

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執筆者プロフィール

田中 誠大

「セイジツに大儲け」強い小規模経営「40からの勝ち方」
株式会社セイダイ 代表取締役

「足腰の強い経営」を創るお手伝いを「使命」としています。

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