暇とか退屈って概念はいつから私たちに
大きくかかわるようになったのだろうか。
おはようございます!
「狩猟採集から定住への転換」
が人類に「暇」と「退屈」という
新しい問題をもたらした、
と言われています。
かつて人類が狩猟採集をしていた時代、
人間の一日は「生きるための行動」
で満ちていました。
食べ物を探し、
獲物を追い、
火を起こし、
仲間と分け合う。
自然と共にあり、
行動のすべてが
「生存」と
直結していました。
この生活には、
「暇」も「退屈」も
存在しませんでした。
なぜなら、
生きることそのものが目的であり、
意味であったからです。
行動と目的が完全に一致していたのです。
やがて人類は、農耕を始め、
定住生活に移りました。
安定した食料を得られるようになると、
人々は「生きるための時間」以外に、
何もすることがない時間=暇を手に入れます。
しかし、
その「余白の時間」は、
すぐに喜びではなく、
空虚さとして現れました。
狩猟時代のように
毎日が「生きる実感」
に満ちていない。
生命をかけて何かを追うわけでもない。
「やるべきこと」が減った代わりに、
「何のために生きるのか」
という問いが生まれたのです。
退屈の始まりは、文明の始まりです。
人類が退屈を感じるようになったのは、
「自然に従って生きる」
状態を離れ、
「自分たちで生を管理する」
ようになったからです。
つまり、人間は文明によって
「安全」と「安定」を得た代わりに、
自然に委ねていた「生のリズム」
が狂いました。
結果として、
人は自分の時間をどう使うべきかを
考えなければならなくなったのです。
その「考える自由」と「決める責任」が、
人間に「暇の幸福」と「退屈の苦痛」を
同時に与えてくれたのでしょう。
定住生活によって初めて、
人間は「時間の余り」を持った。
そして、その余りの時間に、
「何をしても満たされない」
という退屈が生まれた。
退屈とは人間が「生きる意味」を
自ら作らなければならなくなった
瞬間に生まれた、
文明の副産物ですね。
今日も楽しい一日を!
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執筆者プロフィール
田中 誠大
「セイジツに大儲け」強い小規模経営「40からの勝ち方」
株式会社セイダイ 代表取締役
「足腰の強い経営」を創るお手伝いを「使命」としています。
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