私たちは「商品」ではなく、
「退屈しのぎ」を買っている。
おはようございます!
現代の経済は、
一見すると「物」や「サービス」を
取引しているように見えます。
しかし、その根底にある
心理的欲求を掘り下げると、
私たちは実際には「退屈を埋める体験」
を購入しているのかもしれませんね。
原始的な社会では、
人が求めたのは
「生きるためのもの」でした。
食べ物、道具、衣服、
それらはすべて生存に直結した
「必要」な購買です。
「欲しい」ではなく「要る」ものを選んでいました。
定住と文明の発展により、
人類は「生存するための苦労」
から解放されました。
ところが、皮肉にもそれが
退屈という新たな苦痛を生み出した。
生きる危険が減り、
時間に余裕ができ、
私たちは
「何をしても満たされない時間」
を抱えるようになります。
その結果、
現代の購買行動の多くは、
生存のためではなく、
感情の空白を埋めるために
行われているのかも。
たとえば
新しいスマホを買う
→ 機能ではなく「新しさ」という刺激が欲しい
高級レストランに行く
→ 空腹ではなく「特別な体験」で満たされたい
SNSを開く
→ 情報ではなく「退屈の回避」と「つながりの錯覚」
私たちは、退屈の一時的な解消を買っているみたい。
資本主義は、
「退屈を商品化する仕組み」
とも言えます。
企業は
「あなたの退屈を癒す体験」を設計し、
価格をつけて提供しています。
広告は
「あなたの人生にはこれが足りない」
と退屈を刺激し、
その退屈を埋める商品を売る、
これが現代マーケティングの
一つの循環構造です。
退屈がなければ、消費は止まり、経済は動かない。
だから現代社会は、退屈を生み出し続ける。
旅行などの体験商品の娯楽産業は
特に私たちの「退屈」を刺激してきます。
私たちは退屈を埋めるために買い続けるが、
退屈は完全には消えない。
むしろ、買えば買うほど「空虚さ」は深くなる。
なぜなら、それは
ここ何回かのメルマガで書いた
「意味の喪失」の問題を「刺激」で
覆い隠しているだけだからです。
退屈の根は「時間の余り」ではなく、
「生(せい)の意味の空白」だからです。
私たちは、商品やサービスを買っているのではない。
私たちは、「退屈から逃れる時間」を買っている。
資本主義のマーケティングの手法は
理解しておかないとですね。
商人側としても、消費者側としてもです。
人間は、退屈を恐れる生き物である。
だが、退屈を恐れすぎると、
「意味のある時間」を自分で作り出す力を失ってしまう。
今日も楽しい一日を!
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執筆者プロフィール
田中 誠大
「セイジツに大儲け」強い小規模経営「40からの勝ち方」
株式会社セイダイ 代表取締役
「足腰の強い経営」を創るお手伝いを「使命」としています。
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