955、北の大地を切り開いた人々の物語

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私の実家は北海道 札幌市 豊平区、
ひい爺さんが屯田兵としてこの地に来た。

おはようございます!

今からおよそ150年前、
まだ雪と森に覆われていた北海道に、
日本の未来をかけた大きな計画が始まりました。

それが「屯田兵」という人々による開拓でした。

屯田兵とは、農民であり兵士。
ふだんは畑を耕し、
いざという時には国を
守るために戦うという、
新しいかたちの開拓者たちです。

明治時代の初め、
日本は大きな転換期を
迎えていました。

そのころ北の国境には、
ロシア帝国がじわじわと
近づいてきていました。

「このままでは、北海道が危ないかもしれない」

政府はそう考え、
北海道を守る方法を
探していました。

そして思いついたのが、
開拓しながら
国防もできる人たち
「屯田兵」だったのです。

1874年札幌市の西側にある
琴似(ことに)に、
日本で最初の屯田兵村が誕生しました。

北海道に渡ったのは、
元武士や、暮らしに苦しむ農民たち。
彼らは家族とともに
北の大地にやってきました。

住む家や土地、農具、種まき用の穀物は、
すべて政府が用意してくれました。

それでも、長くて厳しい冬、
クマや虫との戦い、
慣れない土地での農業・・・・・

毎日は決して楽なものではありませんでした。

屯田兵たちは、
平日は畑で汗を流し、
週に一度は銃を持って
軍事訓練を受けました。

町はきれいに区画され、
「屯田兵屋」と呼ばれる
統一された家が並びました。

今でも札幌の月寒(つきさむ)や
豊平(とよひら)には、
その名残が残っています。

やがて屯田兵の村は、
札幌から旭川、北見、名寄、
稚内、室蘭などへと広がり、

全道で37か所、約7,300戸にもなりました。

しかし、1904年。日露戦争が始まり、
戦いのかたちは大きく変わりました。

本格的な軍隊の整備が進み、
屯田兵の役割は終わりを迎えます。

同じ年、屯田兵制度は幕を閉じました。

けれど、彼らの手によって
切り拓かれた大地には、
新しい町や暮らしが生まれ、
そのまま北海道の礎(いしずえ)
となっていきます。

今も北海道には「屯田」という地名や、
屯田兵を記念した公園、
復元された兵屋などが残っています。

札幌の「屯田小学校」、
旭川の「兵村記念館」
などもその一部です。

彼らがいなければ、
今の北海道の風景はきっと、
まったく違っていたことでしょう。

屯田兵は、武士でも農民でもなく、
「未来を切り拓く者たち」でした。

彼らの努力と忍耐が、
寒くて遠い北の地を、
豊かな大地に変えていったのです。

北海道の町のはじまりには、
いつも人の想いと覚悟がありました。

屯田兵は、その象徴といえる存在ですね。

今の私がこうして
北海道札幌市豊平区で
幸せに暮らせているのは、

間違いなくご先祖様、
ひい爺さんたちのおかげです。

心より感謝します。

今日も楽しい一日を。

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執筆者プロフィール

田中 誠大

「セイジツに大儲け」強い小規模経営「40からの勝ち方」
株式会社セイダイ 代表取締役

「足腰の強い経営」を創るお手伝いを「使命」としています。

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